ゲームの始まり

まず、現実の世界の話から順々に綴っていこうと思います。

 

 

六軒島事件の後、紗音はなんとか生き続けていました。数年後のそんなある日、また別の場所で生きていた戦人は、偶然紗音と再会します。おおゴッド!と思ったのもつかの間、出会った戦人は記憶障害になっていました。またこのパターンかと紗音は思ったことでしょう。しかし自分から正体を打ち明けたりはしません。自ら思い出してもらうという奇跡があってこそ、魔力が生じて願いがかなうと信じているからです。紗音はいつもそうでした。受け身なのです。運命のルーレットがさす目を受け入れるだけなのです。たとえこのままでも、戦人と二人きりの生活であることは事実。十分幸せでした。こうして数年が過ぎます(ちなみにここで紗音は、八城幾子と名を偽り、戦人に十八と名付けます)。

 

とある日、幾子が発っした「六軒島」というキーワードが戦人の記憶を刺激したようで、十八は少し戦人であった自分を取り戻しました。しかし十八はこんなことを言いました。「これが自分の記憶だとは受け入れられない。でも本当に自分の正しい記憶なら、ちゃんと向き合わないといけないのでしょうか」

 

幾子は悩みました。このまま幾子として十八と生活するのも悪くない。もし戦人の記憶を受け入れきってしまったら、縁寿のもとへ帰ってしまうでしょう。

しかしチャンスでもあります。あの日の真実を、紗音のあの日の思いを伝えきれたなら、さらにその6年前の出来事を思い出してくれたなら、戦人として紗音とすごしていけるかもしれない。

それを伝えるためのツールがあります。以前自分が流したメッセージボトルです。

 

こうして、紗音は幾子として再び賭けに出ることを決意しました。

 

 

 

紗音の勝利 → 2つ条件があります。十八に戦人の記憶を受け入れてもらうこと。その上で、犯行の動機や真実を知ってもらうことです。

魔女や魔法を認めさせることは、戦人の記憶を十八に受け入れてもらうための行為となります。魔法を戦人に理解させることができた時、それはなぜ「あの日の痛ましい事実」を魔法で修飾しなければならなかったのか、という考えを導くことができます。その思考の末に紗音の動機があるわけで、戦人がそれに気づけたなら、幾子と十八は、紗音と戦人として生きていくことができるかもしれない。それが紗音の勝利であり、ゴールです。

 

戦人の勝利 →人間犯人説だけで、自身が体験した六軒島事件の解釈をしきることです。フーダニットやホワイダニットを推理しないという方向性を維持するならば、解いた後戦人の記憶を受け入れることができます。

「今まで良くしてくれてありがとう、幾子さん。俺は戦人なんだから、縁寿のところに帰らなきゃな」と言えることが戦人の勝利です。 

 

ただしフーダニットやホワイダニットを推理してしまい、魔法を認めない上でその事実を看破してしまうと、戦人はエリカ化するため(魔女の正体を参照)、十八に拒絶されて戦人として生きる気になりません。これはゲームのノーサイドを意味し、ゲームを始める前となんら変わらぬ日々を過ごしていくだけとなります(EP4後半にこの展開になりましたね)。

 

 

 

この二人の思考の(至高の)ゲームを、幾子→ベアト、十八→戦人、として記したメタ世界の物語がうみねこという物語のゲーム盤の意味だと私は思います。

 

そうして幾子は、EP1,2のメッセージボトルの世界を読み始めました。たまに戦人は、そんなはずはあるか、ここはこう解釈できる、とか幾子に言ったりしました。幾子は「それは違う、マスターキーは5本しかないのよ」と突っ込みを入れてみたりしました。

 

最後まで読み終わった時、戦人は魔女に屈服し、十八は「右代宮戦人は、あの時の真実を魔女がやったということで納得してくれたようです」と言いました。幾子の目的は、魔女に屈服させることではありません。魔法を理解してもらうことです。幾子は、あせって「まあそうあわてて結論を出すこともないでしょう。」などと言ったことでしょう。

 

 

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