伏線を拾おう

EP1序盤、ゲストハウスでの朱志香のセリフ「譲治兄さんが熊沢さんに聞いたのはねー? ん~? まぁほらアレだぜ。兄さんも本家は一年ぶりだからよ。その間に辞めた使用人とか入った使用人とか、そういうのがいたら挨拶したいーって、そういうことらしいぜぇ?」

 

これ、戦人に置き換えると面白いですよね。六軒島に着いてすぐ、紗音が辞めたかどうか確認したかった。辞めたなら、今の連絡先とか知りたかった、とか。

 

 

 

 

EP4、1998年パートの大月教授のセリフ「女は魔女である、というのが、私のささやかな女性経験からの持論です」

 

六軒島に登場する女性キャラは、全員魔女でした。

 

夏妃:EP1にて、自身の犯行を魔法で修飾しました

朱志香:EP1にて、蔵臼殺害を魔法で修飾しました

楼座:EP2にて、自身の犯行を魔法で修飾しました

絵羽:EP3にて、自身の犯行を魔法で修飾しました

霧江:EP4にて、自身の犯行を魔法で修飾しました

真里亜:EP4にて、魔女に覚醒し、自分がベアトだと主張しました

熊沢:ワルギリアです

紗音:記述するまでもありません

 

 

 

 

EP8、黄金郷でのバトル中の蔵臼のセリフ「私は投資家としては無能だろう!!だがッ、ボクサーとしての才能はッ、大学時代の友人たちが証明するだろう!!」

 

EP4で、蔵臼がボクシングをしていたことが明らかになりますが、その実力も本物であるらしいことも、ここで示されました。

これは、蔵臼を正面から殺害することが、たとえ不意打ちであっても困難であることの伏線でしょう(銃は別ですが)。EP1にて、蔵臼の左側頭部にダメージを負わせたのは背後からである、ということを想像させる伏線です。となると、その人物は左利きの可能性が高いということになりますね。

 

 

 

 

EP7お茶会、絵羽に撃たれた時の留弗夫のセリフ「やっぱ、この銃、狙いが下に、ズレてるぜ」

 

留弗夫は最初銃を所持していませんでした。親たちを全滅させた後、楼座の銃を手にしたのですが、その銃の癖が悪かったようです。

 

これは、各EPで楼座が使用した銃の癖について言及したものと推理できます。楼座が使用した銃は、EP2,3で登場します。特に注目すべきはEP2でしょう。礼拝堂の6人は、楼座が撃ったと暗示できるということでしょう。

EP3では、第二の晩で死亡した楼座の銃を、秀吉が手にすることになります。その後、秀吉が使う銃では、狙いが外れやすい、または顔面を狙っても腹に命中する、ということになります。推理の手掛かりになるということでしょう。

 

 

 

 

 

EP1のTIPS、ウィンチェスターM1894ソードオフの説明で特徴が、弾が4+1発であること

 

これは、一度に殺せる人数が5人が限界であることを示しています。

EP2にて、礼拝堂で見つかった6人は、仮に全員死亡しているとしたら、一度に殺したのではない、あるいは銃を2つ以上使った犯行である、ということになります。私は、死んでいるのは5人であると推理しましたが、上記の説明をヒントに、様々推理してみても面白いと思います。

 

また、4+1という表現は、マガジンに4発入っているという意味です。これは、リロードアクションができない行動式の人間には1発しか撃てない、一人しか殺せない、という意味だと思います。

EP1にて、夏妃は第二の晩で絵羽を撃ちました。夏妃が銃の扱いに慣れているという描写は存在しませんので、その後、あるいはその前も、夏妃には誰も銃殺できません。最後の夏妃が死ぬシーンでも、誰と会っていたにせよ夏妃には発砲できないのです。

その他のEPでも、いろいろ推理の参考になりそうです。

 

 

 

 

 

EP1、第1の晩の現場を発見したときの戦人の思考、ここに転がっている遺体は、どれも惨い化粧が施されていた。…化粧じゃねぇよ。…こいつは…、”顔面を耕す”って表現の方が相応しいだろ…!

 

第1の晩で殺された4人の顔はグチャグチャに潰されていました。それを表現するのに”耕す”という言葉を選んでいるわけですが、実はこの言葉が示すある真実が、その他の死体との対照を浮き彫りにするためのアンチテーゼになっているのです。

 

”畑を耕す”とき耕された土はどうなるかといえば、モコモコと”膨らみ”、

”体積を増やす”のです。

この4人の死体が潰されていた顔面の表現が単純に”潰されていた”だけであれば、読者の認識は「顔面の体積が減少している」「顔面が減っこんでいる」と読解するでしょう。この状態では、死んだふりは成立しません。

”顔面の体積を減らす化粧”を施すことは、魔法でしかできないからです。

 

これを回避するために、わざわざ”耕す”という表現を使っているのです。これにより、4人の顔面は”モッコリと盛り上がっている”ことが示されたわけですから、「そういうマスクを被ることで死んだふりが可能だ」という推理が成立するわけなんですね。

 

そして同時に、もう一つの死体に対する反面教師にもなっています。蔵臼の死体です。彼の死体はまさに”顔面の体積を減らす化粧”です。ですから彼だけは死んだふりではない、第1の晩で死んでいるのは蔵臼だけなんだと推理する手がかりとして、この”耕す”という言葉は用いらているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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