奇跡の物語

それから数十年が過ぎました。

 

 

あれから十八は、戦人の記憶には決着をつけたものの、縁寿に対してはケジメをつけていないことに、やりきれない思いを持ち続けていました。

 

しかしとうとう、寿ゆかりという作家の名前から縁寿であることをつきとめて、縁寿と面会できる機会を持つことができるのでした。縁寿と出会い、全てに決着をつけるつもりでいました。

 

 

そして、縁寿と再会しました。これで全て終わった。すべて……。

 

 

その帰り道、十八は幾子に言います。「もう一度…、幾子さん、もう一度だけ偽書を読み返してもよろしいでしょうか。今なら違った解釈を、違った真実を見いだせる気がするのです」

 

幾子はその言葉を予見していました。それを縁寿に伝えていたのです。「文庫の後書きさえ終わらせておけば」と。

 

幾子はまだ、EP4のお茶会を記述していませんでした。おそらくそれらを、帰ってから記述することになるだろうと感じていたのです。

戦人は縁寿に会って、EP4のように「早く帰ってきて、お兄ちゃんッ!」と言われたように感じたのでしょう。十八の中の戦人が、再び強く出てきてしまったのです。幾子にしてみれば迷惑な話でした。幾子の中の紗音は、もう真里亜と黄金郷で静かに暮らしているつもりでした。それが寿ゆかりの書いた「さくたろうの大冒険―さくたろう、魔女の島へ」によって、真里亜を自分の黄金郷から連れ出されたかのような気分だったでしょう(ちなみに、EP4のタイトルに「さくたろ」と「魔女の島へ」があります)。そこで幾子は、さくたろうが量販店のぬいぐるみだと初めて知ったのでしょう。その時の彼女の気持ちは如何ばかりだったでしょうか。楼座のくそやろう、でしょうか。

 

戦う気力を取り戻した戦人に、幾子は最後に一縷の望みを、今本当に伝えたい思いを言葉にします。「私は、だぁれ?」

 

 

 

それからまたしばらくたった後、縁寿の福音の家への招待の日。

 

十八は縁寿に招かれ、六軒島の屋敷のホールに案内されました。

 

なんて愛にあふれた場所でしょう。戦人は六軒島のこの場所を、このような愛に満ちた空間だという視点で見たことなど今までありませんでした。

 

 

思い出して下さい。EP5の????で戦人が真相に至った時のことを。

 

 

彼は何を以って真相までたどり着けたのでしょう。それはノックス十戒、そしてベアトリーチェとの愛ある関係を信じること。ノックス十戒とは、ベアトリーチェならこれに沿っているはずだという、相手を信頼しないと思考を進めることができない、もろい杖でした。しかしその愛ある視点こそがベアトリーチェを理解する道筋だったのです。

 

戦人は今まで事件当時の現実を、愛ある視点で見たことなどありませんでした。思い出した記憶には、愛のある解釈など入り込む余地のない事実ばかりでしたし、六軒島に愛なんて存在しないと決めつけて推理していました。しかし今、そんな視点もあることを認め、この場所のような愛による解釈もあるのかもしれないと思うに至るのでした。

 

そしてベアトリーチェの肖像画を見た瞬間でした。戦人は全ての真実の深層に至りました。この愛ある場所が奇跡を与えてくれたのです。そしてその奇跡は、全ての親族たちが迎えてくれるという黄金の真実を描いてくれました。そこはまさに黄金郷でした(これはこの瞬間、親族たちの顔をすべて思い出したことの示唆でしょう。もちろん紗音も含めて。肖像画のそれは、自分のよく知る人物に似た顔だったということです)。

 

なんてことでしょう。紗音は自分のことをこんなにも、愛して、憎んで、苦しんでいたのです。その結果狂気に走らせ、それが事件の引き金を引いたのです。あの日の事実は変わらないでしょう。しかし、その引き金を引いた彼女の罪を、こんなにも自分に訴えてきたのです。なぜこんなことをしたのかを知ってほしいと。動機を推理してほしいと。

 

 

 

次々に出迎えのあいさつを交わしていく親族たち。そしてその最後に…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幾子は言いました「待ちくたびれたぞ、戦人」

 

 

 

 

 

                       fin

 

 

 

 

 

 

 

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